2011/08/01

スローなライフにしてくれ

最近身の周りのものがよく壊れる。
それも、壊れてほしくないものが
とくにおかしくなる。

先々月の末に
メインPCが不調をきたしたときは
不自由した。

あれこれシステム上の
メンテナンスを重ね、
開けたこともないフタを開けて
基盤の抜き差しなど実施し、
挙句、OSからクリーンインストールまでして
どうやらビデオカードに
物理的問題があるらしいと
消去法的に推測し、
もうめんどうくさくなって
メーカー有償修理に出した。

結果は推測通り
ビデオカード交換ですんなり症状改善し、
いまこのブログを打てるまでに
回復している。

異様にファンがよく回るので
たぶんこのPCは未だ完全に
健康体ではないのだと思うが。


つづいては先日のこと、
愛車・アクザワさんに
異常が発生しているのを妻が発見。
エンジンを切ろうがキーを抜こうが
ブレーキランプが消えないという
ひじょうに困る現象である。

アクザワさんは実を云うと
先月末、運転席側のドアのキーを
悪戯され、解錠施錠はおろか
キーを回すことも一切できなくなっていた。

修理部品の取り寄せをしていた矢先、
今度は別のところが
壊れちゃったのである。

機関部は好調に動いているが、
しかしこれはちょっと難儀する。

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2011/01/07

そしてフライパンはどうなった

いつもと同じように年が暮れ、
いつもとさして変わらない新年を迎えた。

まあ目を凝らして探せば
暮らしのどんな側面にも
ささやかな変化はあるだろうにしても
それは思わず動揺するほどだったり
個人的な事件になるほどの
大それたスケールではなく、
こういう状況こそを平和と呼ぶべきだろう、
という正月だった。


シンプルに暮らしたい、という欲望が
潜在的にある。
もともと思考言動ともに
ゴチャゴチャ散らかった性格だろうし、
そんな人間が何をか云わんやだが、
身のまわりにあるものひとつひとつには
よけいな装飾や奇を衒ったデザインは
望ましくなくて、なるべくそのものの持つ
本質的な部分だけをカタチにしたものが
好もしいと思っている。
それは飾り気のない白木の家具だったり、
洗いざらしの木綿のシャツだったり。

去年の後半くらいから家のフライパンが
どうも調子よくなくて不自由していた。
我が家では最もヘビーローテーションで
活躍していたのだが、
本来安物ということもあり、
表面処理の層が
まだらに剥がれてささくれ立ち、
焦げつき防止の用を為さなくなっていた。
これには妻ともども辟易し、
もらいものの百貨店の商品券が
たまってきたので
ひとつ高級なフライパンを新調しよう、
という話になった。

高級と云っても
我々の暮らしのものさしでは
せいぜい五千円が限度である。

ほしいのは鉄のフライパン、
と妻が云った。
いわゆる何も修飾語をつけないで
皆がフライパン、と口にしたときに
思い浮かべるような、
素朴な鉄のフライパンである。
フッ素や何かカタカナの名称の
特殊な表面処理などされておらず、
油を馴染ませて使いこむタイプのもので、
昔ながらのずしりとした
重みのあるタイプだ。
云い方を変えれば重くて手入れが大変、
だがそれこそが本来の
フライパンのあるべき姿、という
尊敬にも似た気持ちがこちらにはある。

しかしメーカーとしては
あれこれ工夫を凝らして
消費者の眼にとまろうと躍起であるから、
そういう何の変哲もないような定番商品こそ、
かえって今では
見つけづらくなっているという状況が
ぼんやりと予測できた。

ワタクシと妻とはまなじりを吊り上げて
両の拳をひしと握りしめ、
新年のバーゲンに湧きかえるキタの街に
勇躍繰り出した。

ところが。これが。

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2010/12/31

フライパンがもうだめだ

うだるような、という形容では
とうてい追いつかないほどの
長く烈しい夏がようやく勢いを弱め、
秋風が一度か二度頬をかすめて
通り過ぎていったと思ったら、
もう大晦日である。

あんまし放置も何なので
一年の終わりに長いつぶやきを
ここに記しておこうと思い、
ガキ使のスペシャル観ながら
試みにネットブックに
向かってみる次第。

でもね、あんまし読む値打ちのある
内容にならないのよね。
いっつも値打ちのあることは
書いてきていませんが。

たとえば2010年という年をふりかえって
個人的に十大ニュースでも
挙げてみようかと思うが、
候補になるような事件がそもそも
十件もないという、まあよく云えば
平穏無事な一年であった。

ともかくも前半が忙しすぎた。
今年はおしごとに
恵まれすぎるくらい恵まれ、
家に帰ることも
ままならない日々であった。
だって6~8月は
お休みがなかったもの。
出張先に関しても
あちこち飛び回っており、
南は沖縄から北は北海道まで
足を伸ばした。

なんか自分が偉い人になったかと
錯覚してしまうよね。

前回記事にしたためた
七夕の体調不良は
思えばまさにこの忙しさが原因だった。
一晩で1.5kg体重が落ちるって
ありえないし。

しかしレギュラーのおしごとの
突然の解雇通告があった。
労働基準法を持ち出すところまでは
いかなくとも、おそらく社会通念上
あってはならないレベルの
急な宣告だったんだけど、
そもそも契約書も巻かない
いいかげんな業界なので、
抵抗のしようもなく
スパッと切られちゃった。
(その話は長くなるのでまたいつか)
そんなわけで
晩秋から急激にヒマな人となり、
単発のおしごとを
ちょいちょい分けてもらいながら
今に至るのであった。

いかん。話のトーンが暗い。

忙しかった、体調壊した、クビになった、
これがワタクシの
一年ということなのだろうか。
あとはiphoneを買ったことと
twitterを始めたことくらいしか
新機軸として我が暮らしに
導入されたものがない。

なさけないのう。

まあでもヒマになって自分の時間が
ようやく戻ってきたと考えれば
ここらでちょっとペースダウンして
いろいろインプットというか仕入れというか
ありていに云うと充電期間と考えれば
いいのかも知れぬ。

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2010/07/12

七夕に七転八倒の巻

神様は我々人間が
「そうなることを想像できない」という
罪を犯せば、どんな災厄でも
その身にふりかからせる。

以前読んだキングの小説か何かに
書いてあった箴言。うろ憶え。
天災は忘れたころにやってくる、
みたいな文言と似ていますな。

えっ、あの人最近あんまり
見ないと思ってたけど、なくなったの?
というような
急転直下、晴天の霹靂が
我々の暮らしにはいたるところに
身をひそめ待ちかまえている。

たとえばおのれにふりかえってみて、
まさかこの自分が、
今月はさして激務でも
過密スケジュールでもなく、
けっこう自分の時間も
休息もとれているのに
病院に行くような羽目に陥るとは、
ましてやその後
これを書いている今も続く
苦しみに苛まれようとは、
まさに「想像しなかった」のであった。

異変の起きたのは七夕の夜に遡る。

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2010/07/07

日本の夏、幻想の夏。

唐突だがあなたにとって
夏を実感させる情景とは何だろうか?

風鈴、縁側、スイカ、花火、すだれ、そうめん、
蚊取り線香のブタ、うちわ、かき氷、
入道雲、麦わら帽子、浮き輪、浴衣……。

とまあ思いつくまま書き連ねても
このとおり苦もなく次々浮かんでくる。

映像のおしごとに携わっていて、
ふと思ったのだが、
日本は冬よりも夏にかかわる視覚に
共通の記憶の基盤が多いように思う。
風物詩、とか原風景なんていう
便利な言葉があるが、
まあそういうものを見ると
万人が夏、と認識する
昔からのものや現象や風景である。

あるいは日本人は
お盆や終戦記念日や
なんやかやのせいで
夏になるとノスタルジイに
思考を侵食されやすいのかも知れない。

ワタクシはそういう名もなき普遍的な
情景を再現しようとして、ときに
材料を揃えようと
東奔西走することがあるが、
これが、年を追うごとに
難しくなっている気がするのだ。

きょうもきょうとて、ワタクシは
冷奴を入れる木の桶を
仕事で使いたいと思い、
あちこち原付を走らせた。

が、これが。

ないのである。


ぜーんぜん見つからないんだねー。

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2010/07/05

この道を行けばどうなるものか

昔のギリシャ人は
石造りの舞台をわざわざしつらえて
悲劇をなぜ観たかって云うと、
観終わってから
舞台上の人物に降りかかった災厄が
己の身に起きていなくてよかったと
安堵するためだったとかっていうよね。
「あ~オレじゃなくてよかった~」と
まあそういう。

その心理的仕組みって
正直若い頃は
ハテ?と思っていたというか
実感がまるで湧かなかった。
ちょうど流行の歌の歌詞を
ただ字面で憶えていただけなのと
同じように。

でも最近、なんかちょっと
ギリシャ人の気持ちが
しだいに判るように
なってきた気がする。

それはある意味、
相対化だったりするのであろう。
自分と劇中人物を
なんかココロの中の
天秤の両端に乗っけて、
どっちがどうだと重みを量る。

これが若い頃だと
自分自身に何の重みもないもんだから
天秤自体が成立しなくて、
ワタクシはただ
数字の見えないバネ秤に乗った
劇中人物の重みだけを
ちょっと離れたところから
なんとなく想像するしかなかったのだ。

このあいだまで
気に入ってみていたドラマがあって
NTV系の「mother」というのだが、
これはとてもよく描けていたと思う。
登場人物の一挙手一投足に
不自然な飛躍や
無理な圧縮や誇張がなくて
違和感なく自分のモノサシで
見ることができていた。

すごいよかったと思うし。

ただ毎回傍らで見ている妻が
滂沱の涙に暮れ、
鼻を真っ赤にしているのに
ワタクシはというとわりあい冷静で
それが妻からすると
もうひとつ納得がゆかない、
というふうだった。

でもそれはなぜかって
自問してみるに、
たぶんこの物語が
タイトルからも察しがつくように
母性の物語であって、
山本耕史演じるフリーライター以外に
ほとんどといっていいほど
男性が出てこないからであった。
二世代の母と娘の物語である。
したがって自分の乗った天秤の
向こう側に乗せる、
架空の人物がいなかったのである。

そんなわけで、
というわけでもないけど、
ゴリゴリに親父と息子の物語、
「The Road」を観てきた。

(以下、ネタバレ含む?)

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2010/04/27

春の空のプレ飛行機雲

春のおしごと祭りが大盛況であった。
この2ヶ月というもの休みを取っていない。

もちろん数日寝てないとか
何日もメシを食っていないとか
そこのまでことはなくて、
軟弱者のワタクシだから、
始まったばかりのマラソンでも
すぐに歩くような男だから
(もののたとえです。マラソンなんか嫌い)、
まあ話半分ではあるが、それでも忙しかった。

何度だって書くが、
おしごとってこれ以上忙しくなることって
あるのかしらん、想像つかないわ、と
そのときはリアルに思うのだが、
だいたいにおいて
その貧弱な想像を上回る
大津波が押し寄せてきて
右往左往するのである。

神は人間が想像できないという罪を犯すと
どんな災厄でもその身にふりかからせるのだ。

なんでしょうか、
一日分のエネルギーを
乏しい小遣いのように使い果たし、
命って云うでっかい積立貯金を切り崩して
補充していった感じだったなああ。

働く≧生きるだった。


ふぁー。


いまから書くのはそんな忙殺のさなか
ワタクシが
仕事先の上司(?)と京阪電車から
目撃した、
現代科学では説明のつかない現象である。

ていうかワタクシには説明がつかない、
ってだけだけど。

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2010/02/28

愛と哀しみのうすらベーコン

妻は絶句した。

悪びれる様子もなく店員が持ってきた
愛するうずらベーコンの皿を眼の前にして
妻は絶句した。
そしてワタクシの瞳をじっと見つめた。
自らが眼にしたものが
にわかには
信じられないというふうであった。

不景気という長く続く強い風が
ふいに猛々しい勢いで
ワタクシと彼女の間に吹き込んできて
彼女の頬に浮かんでいたはずの笑みを
一瞬ですっかり
フリーズドライにしてしまった。

乾いた彼女の頬笑みは
端のほうからぱりぱりと割れて
粉のように舞った。

それはワタクシとても同じことで、
あまりに惨めな、
かつて親しんでいたのとは到底違う
うずらベーコンの変わり果てた姿に
憤りと無力感とを同時に感じた。

このままでは日本経済が
骨粗鬆症のようになってしまう、
いやあるいはもうとっくに手遅れで
症状は進んでしまっているのかも、
そう思わされた。


きょうワタクシはわりと早くおしごとを
終えたのではあったが、
しかし晩メシの買い物をして
支度をするには遅く、
かといってふたり別々に済ませるほど
でもない、という中途半端な
時刻にさしかかっていた。

冷蔵庫の中の備蓄も乏しかった。

月末でもあるし、思いきって
妻と近くの焼き鳥屋に
出かけることにした。
そこは所謂チェーンの店で
あえて名を伏すが(吉がつきます)
家から近いし、安いしで
我々が外食、と決めると
つねに第一候補に挙がる店であった。

彼女はそこの
うずらベーコンが好物だったのである。

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2010/01/16

世界はわりとキムチでできている

今年も残すところ
あと350日足らずとなりました。
……などと定番のボケを書いてしまう
今日この頃、早くもワタクシにとっては
おしごと祭りが始まろうとしている。

てかなんか本数は増えていないのに
段取りがおそろしく手間取っているのよ。


さて、ワタクシ去年の大晦日に、
実家から送ってきた白菜を
ちっこいの半分
自家製キムチにして漬けてみたところ、
個性的ではあるが
ありえなくもない味に仕上がり
嬉々としてチゲやらなにやらで
完食したのであるが。

実際のところ、我が家から
キムチが全然減らないという
異常な事態に直面している。

それどころか、見るもの聞くもの
すべて韓国とキムチの赤色に
染まってゆくという
(けして政治的な意味合いはないけど)
ある意味偶然としては出来過ぎている
確変モードに突入しているのである。

確変の用法はこれで合っているのか
銀玉遊びをしないので
よくわからんけれども。

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2010/01/01

風が強く吹いている

今年も無事明けまして
おめでとうございます。
旧年中は皆様にひとかたならぬ
お世話になりまして、おかげさまで
こうしてのうのうと初春の慶びなんぞを
寿ぐことができました。
ひらにひらにひらひらに、
ありがとうございまする。

ゆんべは恒例「ゆく年来る年」の
ぼそぼそとしんきくさく
かつ厳かな各地の年明けを眺め、
その後凍てつく木枯らしの中を
自宅から50メートルくらいの距離にある
神社にお参りを済ませました。

この神社、夏祭りとかだんじりの頃は
夜店と人ごみで
自分のマンションまで帰れなくなる、
という不具合も併せ持ちながら、
こういうときにはすぐお参りできて
とってもコンビニエント。
いかんせん何の神様なのか
知らないのだけれど、現代人の
信心なんてそんなものさ。

20人くらいの列に並び、夫婦揃って
参拝を済ませた後は
これまた恒例のおみくじ100円である。
去年はふたりとも仲良く
同じ十八番を引き当て、
ま、「吉」という感じで
よかったなと胸をなでおろしたのであるが、
今年はいかに、と不安と期待が高まる。

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