そしてフライパンはどうなった
いつもと同じように年が暮れ、
いつもとさして変わらない新年を迎えた。
まあ目を凝らして探せば
暮らしのどんな側面にも
ささやかな変化はあるだろうにしても
それは思わず動揺するほどだったり
個人的な事件になるほどの
大それたスケールではなく、
こういう状況こそを平和と呼ぶべきだろう、
という正月だった。
シンプルに暮らしたい、という欲望が
潜在的にある。
もともと思考言動ともに
ゴチャゴチャ散らかった性格だろうし、
そんな人間が何をか云わんやだが、
身のまわりにあるものひとつひとつには
よけいな装飾や奇を衒ったデザインは
望ましくなくて、なるべくそのものの持つ
本質的な部分だけをカタチにしたものが
好もしいと思っている。
それは飾り気のない白木の家具だったり、
洗いざらしの木綿のシャツだったり。
去年の後半くらいから家のフライパンが
どうも調子よくなくて不自由していた。
我が家では最もヘビーローテーションで
活躍していたのだが、
本来安物ということもあり、
表面処理の層が
まだらに剥がれてささくれ立ち、
焦げつき防止の用を為さなくなっていた。
これには妻ともども辟易し、
もらいものの百貨店の商品券が
たまってきたので
ひとつ高級なフライパンを新調しよう、
という話になった。
高級と云っても
我々の暮らしのものさしでは
せいぜい五千円が限度である。
ほしいのは鉄のフライパン、
と妻が云った。
いわゆる何も修飾語をつけないで
皆がフライパン、と口にしたときに
思い浮かべるような、
素朴な鉄のフライパンである。
フッ素や何かカタカナの名称の
特殊な表面処理などされておらず、
油を馴染ませて使いこむタイプのもので、
昔ながらのずしりとした
重みのあるタイプだ。
云い方を変えれば重くて手入れが大変、
だがそれこそが本来の
フライパンのあるべき姿、という
尊敬にも似た気持ちがこちらにはある。
しかしメーカーとしては
あれこれ工夫を凝らして
消費者の眼にとまろうと躍起であるから、
そういう何の変哲もないような定番商品こそ、
かえって今では
見つけづらくなっているという状況が
ぼんやりと予測できた。
ワタクシと妻とはまなじりを吊り上げて
両の拳をひしと握りしめ、
新年のバーゲンに湧きかえるキタの街に
勇躍繰り出した。
ところが。これが。
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