この道を行けばどうなるものか
昔のギリシャ人は
石造りの舞台をわざわざしつらえて
悲劇をなぜ観たかって云うと、
観終わってから
舞台上の人物に降りかかった災厄が
己の身に起きていなくてよかったと
安堵するためだったとかっていうよね。
「あ~オレじゃなくてよかった~」と
まあそういう。
その心理的仕組みって
正直若い頃は
ハテ?と思っていたというか
実感がまるで湧かなかった。
ちょうど流行の歌の歌詞を
ただ字面で憶えていただけなのと
同じように。
でも最近、なんかちょっと
ギリシャ人の気持ちが
しだいに判るように
なってきた気がする。
それはある意味、
相対化だったりするのであろう。
自分と劇中人物を
なんかココロの中の
天秤の両端に乗っけて、
どっちがどうだと重みを量る。
これが若い頃だと
自分自身に何の重みもないもんだから
天秤自体が成立しなくて、
ワタクシはただ
数字の見えないバネ秤に乗った
劇中人物の重みだけを
ちょっと離れたところから
なんとなく想像するしかなかったのだ。
このあいだまで
気に入ってみていたドラマがあって
NTV系の「mother」というのだが、
これはとてもよく描けていたと思う。
登場人物の一挙手一投足に
不自然な飛躍や
無理な圧縮や誇張がなくて
違和感なく自分のモノサシで
見ることができていた。
すごいよかったと思うし。
ただ毎回傍らで見ている妻が
滂沱の涙に暮れ、
鼻を真っ赤にしているのに
ワタクシはというとわりあい冷静で
それが妻からすると
もうひとつ納得がゆかない、
というふうだった。
でもそれはなぜかって
自問してみるに、
たぶんこの物語が
タイトルからも察しがつくように
母性の物語であって、
山本耕史演じるフリーライター以外に
ほとんどといっていいほど
男性が出てこないからであった。
二世代の母と娘の物語である。
したがって自分の乗った天秤の
向こう側に乗せる、
架空の人物がいなかったのである。
そんなわけで、
というわけでもないけど、
ゴリゴリに親父と息子の物語、
「The Road」を観てきた。
(以下、ネタバレ含む?)
この土日ワタクシは
ほぼ仕事部屋にこもって、
あれこれWEBで調べては
空振りに終わり、
せいぜい数本電話をかけるだけであり、
あげくにはお昼寝もするわで、
なんだかんだで鬱屈していた。
見かねた妻がぽつっと、
「君が観たいってゆうてた
映画観てくれば?週明けたら
どうせ行けへんくなるんやし」
と背中を押してくれた。
それで、せっかく劇場まで
十分で行ける町に住んでいることだし、
ひさしぶりに足を運ぶことにした。
かねてから気になっていた映画が
ちょうど封切ったばかりだったのだ。
それは、かの大作ファンタジー
「ロード・オブ・ザ・リング」で
気高き人間の王・アラゴルンを
見事に演じた
ヴィゴ・モーテンセンが主演で、
原作はかのアカデミー賞作品
「ノーカントリー」をものした作家の
手になる作品である。
自分の中だけで前評判最高潮。
しかし妻に話すと、そんな映画
「一回も予告編観たことないで」
とのことである。
温度差。
むう、そんなはずはない、
と思って調べると
上映館は梅田ガーデンシネマ。
イッツ・ミニシアター。
(ヴィゴ・モーテンセンってたしか
あのウマの映画もこけたよな)
それでも席数は限りがあるし、
最近主流の全席指定ではなく、
WEB予約もできないハコである。
立ち見とかになったらイヤだと思い、
一時間前に窓口に着く。
整理番号、17番。
日曜の夕方だけあって、さすがに
もう16人も買っているじゃないか。
よかった間に合った、と
胸をなでおろす。
しかし。
開演15分前に戻ってきてみると、
ぜんぜん人がいないのよね。
わらかすくらい閑古鳥。
結局30人くらいしかホールにいない。
それも、若いカップルはたった一組。
ひとりで来ている中年もしくは
若くてもミョーに色合いが地味な、
SFヲタク系と思しき
あんちゃんたちばかり。
すごくホーム感のある客層。
そっかー最近こういうの
流行らないんだなと思いつつ、
すんなりど真ん中に坐れちゃった。
いつ来ても映画の始まる前というのは
ココロが躍るものだ。
この感情というのは日常生活に
あんまり湧き起こらない種類のもので、
それが嬉しい。
で、物語なのであるが、
これがすごくよかった。
あらすじを書いてしまうと
すごく陳腐である。
近未来のアメリカ。
原因不明の災禍により、
地球は十年以上も寒暖化が続き、
木々は枯れ、太陽は雲から顔を出さず、
鳥は空から姿を消し、
日がな一日雷雲は轟いて、
地鳴りが続いている。
文明は廃れ、略奪者がはびこり、
食糧難から人肉食が
あたりまえに行われる。
主人公と息子はその中で
人間としての誇りを懸命に守りながら、
ひたすら歩いて南を目指す……。
身を守るものは
たったふたつの銃弾だけ。
とまあ、これだけの物語。
終末の世界に
生き残ってしまった親子が
苛烈な環境で希望を探す物語。
わりと新しみないかも。
バイヤーや配給会社が
全国一斉ロードショーに
踏み切れなかったのも判る気がする。
「28日後…」とかにも
ある種共通するけど、もうだいたい、
「終末サバイバル映画・あるある」が
ぜんぶといっていいほど出てきます。
これは観る人に気の毒なので
詳しく書きませんが。
結末もだいたいこうなるんだろうな、
という結末になります。
でもこれが幕を開けたら、
冒頭から
ずっとハラハラしどおしで
最後まで眼が離せなかった。
凄惨、といってもいい。
悲壮、ともいえる。
この映画のよさはどこにあるかというと、
丁寧な演出、というところに
尽きると思うのである。
ひとつひとつの描写が
的確なスケールで描かれていて
「ありえな~い」と思うようなところが
ほとんど出てこないのがいい。
あ~おれこんなじゃなくてよかった~。
今の日本、理想社会とは
決して云えないけど、
でもだいぶマシだった~、と
つくづく思うのである。
ずうずうしくも自分と
ヴィゴ・モーテンセンを
ココロの天秤に載せ、
古代ギリシャ人のように
ワタクシは安堵するのである。
(そして、憂鬱な仕事にも
へいちゃらで立ち向かえるような
気持ちになるのである)
おそらくここまで自分が
感情移入できたのは、つまり
先ほど引き合いに出した「mother」の
まさに逆で、
ガッチリゴリゴリの
父親と息子の、男性の物語だからという
部分が大きいのだと思う。
人の親になるってきっと
すごい大変なことですね。
個人的にはまだ
予定はないけれど、
先んじてその境遇に
身をおくことを決意した
我が友人や弟に
衷心から敬意を表します。
そういうことが他人事じゃなく、
目盛りの見えないバネ秤じゃなく、
なんとなくだけど
天秤に乗せられるように
なってきた気がする。
だって36歳である。
大人なのである。
映画がワタクシを
天秤に乗せてくれたおかげで、
ああワタクシはワタクシで、
やっぱ「The Road」を
歩いているのだろうな、と気づく。
わりと平坦でしかも
ふかふかの土壌だけど。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント