昔のギリシャ人は
石造りの舞台をわざわざしつらえて
悲劇をなぜ観たかって云うと、
観終わってから
舞台上の人物に降りかかった災厄が
己の身に起きていなくてよかったと
安堵するためだったとかっていうよね。
「あ~オレじゃなくてよかった~」と
まあそういう。
その心理的仕組みって
正直若い頃は
ハテ?と思っていたというか
実感がまるで湧かなかった。
ちょうど流行の歌の歌詞を
ただ字面で憶えていただけなのと
同じように。
でも最近、なんかちょっと
ギリシャ人の気持ちが
しだいに判るように
なってきた気がする。
それはある意味、
相対化だったりするのであろう。
自分と劇中人物を
なんかココロの中の
天秤の両端に乗っけて、
どっちがどうだと重みを量る。
これが若い頃だと
自分自身に何の重みもないもんだから
天秤自体が成立しなくて、
ワタクシはただ
数字の見えないバネ秤に乗った
劇中人物の重みだけを
ちょっと離れたところから
なんとなく想像するしかなかったのだ。
このあいだまで
気に入ってみていたドラマがあって
NTV系の「mother」というのだが、
これはとてもよく描けていたと思う。
登場人物の一挙手一投足に
不自然な飛躍や
無理な圧縮や誇張がなくて
違和感なく自分のモノサシで
見ることができていた。
すごいよかったと思うし。
ただ毎回傍らで見ている妻が
滂沱の涙に暮れ、
鼻を真っ赤にしているのに
ワタクシはというとわりあい冷静で
それが妻からすると
もうひとつ納得がゆかない、
というふうだった。
でもそれはなぜかって
自問してみるに、
たぶんこの物語が
タイトルからも察しがつくように
母性の物語であって、
山本耕史演じるフリーライター以外に
ほとんどといっていいほど
男性が出てこないからであった。
二世代の母と娘の物語である。
したがって自分の乗った天秤の
向こう側に乗せる、
架空の人物がいなかったのである。
そんなわけで、
というわけでもないけど、
ゴリゴリに親父と息子の物語、
「The Road」を観てきた。
(以下、ネタバレ含む?)
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