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2010/07/12

七夕に七転八倒の巻

神様は我々人間が
「そうなることを想像できない」という
罪を犯せば、どんな災厄でも
その身にふりかからせる。

以前読んだキングの小説か何かに
書いてあった箴言。うろ憶え。
天災は忘れたころにやってくる、
みたいな文言と似ていますな。

えっ、あの人最近あんまり
見ないと思ってたけど、なくなったの?
というような
急転直下、晴天の霹靂が
我々の暮らしにはいたるところに
身をひそめ待ちかまえている。

たとえばおのれにふりかえってみて、
まさかこの自分が、
今月はさして激務でも
過密スケジュールでもなく、
けっこう自分の時間も
休息もとれているのに
病院に行くような羽目に陥るとは、
ましてやその後
これを書いている今も続く
苦しみに苛まれようとは、
まさに「想像しなかった」のであった。

異変の起きたのは七夕の夜に遡る。

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2010/07/07

日本の夏、幻想の夏。

唐突だがあなたにとって
夏を実感させる情景とは何だろうか?

風鈴、縁側、スイカ、花火、すだれ、そうめん、
蚊取り線香のブタ、うちわ、かき氷、
入道雲、麦わら帽子、浮き輪、浴衣……。

とまあ思いつくまま書き連ねても
このとおり苦もなく次々浮かんでくる。

映像のおしごとに携わっていて、
ふと思ったのだが、
日本は冬よりも夏にかかわる視覚に
共通の記憶の基盤が多いように思う。
風物詩、とか原風景なんていう
便利な言葉があるが、
まあそういうものを見ると
万人が夏、と認識する
昔からのものや現象や風景である。

あるいは日本人は
お盆や終戦記念日や
なんやかやのせいで
夏になるとノスタルジイに
思考を侵食されやすいのかも知れない。

ワタクシはそういう名もなき普遍的な
情景を再現しようとして、ときに
材料を揃えようと
東奔西走することがあるが、
これが、年を追うごとに
難しくなっている気がするのだ。

きょうもきょうとて、ワタクシは
冷奴を入れる木の桶を
仕事で使いたいと思い、
あちこち原付を走らせた。

が、これが。

ないのである。


ぜーんぜん見つからないんだねー。

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2010/07/05

この道を行けばどうなるものか

昔のギリシャ人は
石造りの舞台をわざわざしつらえて
悲劇をなぜ観たかって云うと、
観終わってから
舞台上の人物に降りかかった災厄が
己の身に起きていなくてよかったと
安堵するためだったとかっていうよね。
「あ~オレじゃなくてよかった~」と
まあそういう。

その心理的仕組みって
正直若い頃は
ハテ?と思っていたというか
実感がまるで湧かなかった。
ちょうど流行の歌の歌詞を
ただ字面で憶えていただけなのと
同じように。

でも最近、なんかちょっと
ギリシャ人の気持ちが
しだいに判るように
なってきた気がする。

それはある意味、
相対化だったりするのであろう。
自分と劇中人物を
なんかココロの中の
天秤の両端に乗っけて、
どっちがどうだと重みを量る。

これが若い頃だと
自分自身に何の重みもないもんだから
天秤自体が成立しなくて、
ワタクシはただ
数字の見えないバネ秤に乗った
劇中人物の重みだけを
ちょっと離れたところから
なんとなく想像するしかなかったのだ。

このあいだまで
気に入ってみていたドラマがあって
NTV系の「mother」というのだが、
これはとてもよく描けていたと思う。
登場人物の一挙手一投足に
不自然な飛躍や
無理な圧縮や誇張がなくて
違和感なく自分のモノサシで
見ることができていた。

すごいよかったと思うし。

ただ毎回傍らで見ている妻が
滂沱の涙に暮れ、
鼻を真っ赤にしているのに
ワタクシはというとわりあい冷静で
それが妻からすると
もうひとつ納得がゆかない、
というふうだった。

でもそれはなぜかって
自問してみるに、
たぶんこの物語が
タイトルからも察しがつくように
母性の物語であって、
山本耕史演じるフリーライター以外に
ほとんどといっていいほど
男性が出てこないからであった。
二世代の母と娘の物語である。
したがって自分の乗った天秤の
向こう側に乗せる、
架空の人物がいなかったのである。

そんなわけで、
というわけでもないけど、
ゴリゴリに親父と息子の物語、
「The Road」を観てきた。

(以下、ネタバレ含む?)

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2010/07/02

愚かなるものの罪

……7月ですよ。
早いもので今年も
半分終わってしまいました。
梅雨のうっとうしいこの時期、
皆様におかれましては
お身体などこわさぬよう
くれぐれもご自愛ください。

梅雨と云えば、
けさ気象予報士さんと
お話する機会があり、
いろいろ質問したいことがあったのだが、
思いきってあの質問をぶつけてみた。

「オタマジャクシはなぜ降るのですか?」

しばしの絶句の後、予報士Mさんは
親切に、かつ明瞭に
きっぱりと答えてくれた。

「鳥の仕業でしょうね。以外ありえない。
だって気象現象で
空中に巻き上げられたとすれば、
同じくらいの大きさ・質量のほかの物体が
なぜ混じっていないのかという
合理的説明がつかない」


いやはやおそれいりました。
それはたしかに
考えてみなかったなあ。

まあプロに
あんまり幼稚なことを訊くな、
という話ですね。


さて、話は変わるが、
先日ワタクシのところに
さして珍しくもない迷惑メールが
一通送られてきた。
所謂架空請求というやつである。

ふだんならケッ、
チャチな悪巧みしやがってと
唾棄し即座に消去するところであるが、
あまりに矛盾が多いというか、
見え透いた嘘というか、
平たく云うと
ツッコミどころ満載だったので
ちょっとヒマなので
ツッコミを入れてみることにする。

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