2011/08/07

ワタクシはターミネーターになりたい

最近の若者は……などと
口にするかどうかというのは
自分がおっちゃんになった
ひとつの証しなのだろうというのは
客観的によく判る。

だって37歳なのである。
驚きだが中年どストライクなのである。
いつまでも若いつもりじゃいられなくて、
いくらか少子高齢化のあおりで
緩やかになってきているとはいえ、
続々次なる世代が
生まれ育ってきているのである。

あの頃の未来に僕らは立っているのである。

しかしよもやこうまで自分が
若者の醜態を嘆く立場になろうとは
予期だにしなかった。

最近立て続けに数件、
まるで社会性を欠いた
若者の身勝手かつ未熟かつ醜悪な
立ち居振る舞いを目撃する機会があり、
本気でやつらのブザマさに
不快感を禁じ得ないのである。

あれ俺らも若いころこんなだったっけか?
こんなに周囲をはばからず傍若無人に
子供じみたマナーで
世の中うろついてたっけか?
と首をひねることしばしば。
首をひねりすぎたあまり筋が違ったり
なぜか上腕部が攣ったりしているのである。

や、わかりますよ
立派な若者だっていることは。
ワタクシが眼にしたのは
ごく一部の極端な例であって、
それがたまたま夏休みとかで
世の中に多くうろついているだけで
あろうとゆうことは。

それにしてもなああ。

以下、バカどもの振る舞いに対する
大人げない愚痴と陰口。

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2011/08/01

スローなライフにしてくれ

最近身の周りのものがよく壊れる。
それも、壊れてほしくないものが
とくにおかしくなる。

先々月の末に
メインPCが不調をきたしたときは
不自由した。

あれこれシステム上の
メンテナンスを重ね、
開けたこともないフタを開けて
基盤の抜き差しなど実施し、
挙句、OSからクリーンインストールまでして
どうやらビデオカードに
物理的問題があるらしいと
消去法的に推測し、
もうめんどうくさくなって
メーカー有償修理に出した。

結果は推測通り
ビデオカード交換ですんなり症状改善し、
いまこのブログを打てるまでに
回復している。

異様にファンがよく回るので
たぶんこのPCは未だ完全に
健康体ではないのだと思うが。


つづいては先日のこと、
愛車・アクザワさんに
異常が発生しているのを妻が発見。
エンジンを切ろうがキーを抜こうが
ブレーキランプが消えないという
ひじょうに困る現象である。

アクザワさんは実を云うと
先月末、運転席側のドアのキーを
悪戯され、解錠施錠はおろか
キーを回すことも一切できなくなっていた。

修理部品の取り寄せをしていた矢先、
今度は別のところが
壊れちゃったのである。

機関部は好調に動いているが、
しかしこれはちょっと難儀する。

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2011/02/21

ラピッドリーダー2011

仕事がヒマになって、
とかく本を読むようになった。

晴耕雨読という言葉があるが、あれはなにも
そのまま天気のことを謂うのではなくて、
つまり本業がヒマなときは勉強しんさいよ、
ということなのである。
したがって本を読むわけである。

そもそもツイッターなどを
日に何度も閲覧しているのも
手持無沙汰になると字を読んでいたい、
という脳の欲求に従っているからである。
活字中毒と云えばカッコイイが、
それはとくに新しい文章でなくともよくて、
バイク雑誌のカスタム記事や
新車インプレッションだったりもする。

しかしそれだけではさすがに飽き足らず、
もうちょっと違う文章を読みたい、
ということになってくる。

そこで最近図書館通いを始めた。
貧乏なので古本でも買うのをためらう。
もともと妻がマメに区立図書館を
利用していたこともあって、
ワタクシにも勧めてくれた。

図書館と云えば小学校の頃、
週末ともなれば
母のクルマで小一時間もかけて
郷里の県立図書館に通っていた時期があった。
主に読むのはジュブナイルSF
(レンズマンとか)であったが、
かなりの量を読んでいた気がする

余談だが「レンズマン」に登場する
トレゴンシーの容姿は
文章では想像つかないよね。

まあそれはいい。


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2011/01/07

そしてフライパンはどうなった

いつもと同じように年が暮れ、
いつもとさして変わらない新年を迎えた。

まあ目を凝らして探せば
暮らしのどんな側面にも
ささやかな変化はあるだろうにしても
それは思わず動揺するほどだったり
個人的な事件になるほどの
大それたスケールではなく、
こういう状況こそを平和と呼ぶべきだろう、
という正月だった。


シンプルに暮らしたい、という欲望が
潜在的にある。
もともと思考言動ともに
ゴチャゴチャ散らかった性格だろうし、
そんな人間が何をか云わんやだが、
身のまわりにあるものひとつひとつには
よけいな装飾や奇を衒ったデザインは
望ましくなくて、なるべくそのものの持つ
本質的な部分だけをカタチにしたものが
好もしいと思っている。
それは飾り気のない白木の家具だったり、
洗いざらしの木綿のシャツだったり。

去年の後半くらいから家のフライパンが
どうも調子よくなくて不自由していた。
我が家では最もヘビーローテーションで
活躍していたのだが、
本来安物ということもあり、
表面処理の層が
まだらに剥がれてささくれ立ち、
焦げつき防止の用を為さなくなっていた。
これには妻ともども辟易し、
もらいものの百貨店の商品券が
たまってきたので
ひとつ高級なフライパンを新調しよう、
という話になった。

高級と云っても
我々の暮らしのものさしでは
せいぜい五千円が限度である。

ほしいのは鉄のフライパン、
と妻が云った。
いわゆる何も修飾語をつけないで
皆がフライパン、と口にしたときに
思い浮かべるような、
素朴な鉄のフライパンである。
フッ素や何かカタカナの名称の
特殊な表面処理などされておらず、
油を馴染ませて使いこむタイプのもので、
昔ながらのずしりとした
重みのあるタイプだ。
云い方を変えれば重くて手入れが大変、
だがそれこそが本来の
フライパンのあるべき姿、という
尊敬にも似た気持ちがこちらにはある。

しかしメーカーとしては
あれこれ工夫を凝らして
消費者の眼にとまろうと躍起であるから、
そういう何の変哲もないような定番商品こそ、
かえって今では
見つけづらくなっているという状況が
ぼんやりと予測できた。

ワタクシと妻とはまなじりを吊り上げて
両の拳をひしと握りしめ、
新年のバーゲンに湧きかえるキタの街に
勇躍繰り出した。

ところが。これが。

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2010/12/31

フライパンがもうだめだ

うだるような、という形容では
とうてい追いつかないほどの
長く烈しい夏がようやく勢いを弱め、
秋風が一度か二度頬をかすめて
通り過ぎていったと思ったら、
もう大晦日である。

あんまし放置も何なので
一年の終わりに長いつぶやきを
ここに記しておこうと思い、
ガキ使のスペシャル観ながら
試みにネットブックに
向かってみる次第。

でもね、あんまし読む値打ちのある
内容にならないのよね。
いっつも値打ちのあることは
書いてきていませんが。

たとえば2010年という年をふりかえって
個人的に十大ニュースでも
挙げてみようかと思うが、
候補になるような事件がそもそも
十件もないという、まあよく云えば
平穏無事な一年であった。

ともかくも前半が忙しすぎた。
今年はおしごとに
恵まれすぎるくらい恵まれ、
家に帰ることも
ままならない日々であった。
だって6~8月は
お休みがなかったもの。
出張先に関しても
あちこち飛び回っており、
南は沖縄から北は北海道まで
足を伸ばした。

なんか自分が偉い人になったかと
錯覚してしまうよね。

前回記事にしたためた
七夕の体調不良は
思えばまさにこの忙しさが原因だった。
一晩で1.5kg体重が落ちるって
ありえないし。

しかしレギュラーのおしごとの
突然の解雇通告があった。
労働基準法を持ち出すところまでは
いかなくとも、おそらく社会通念上
あってはならないレベルの
急な宣告だったんだけど、
そもそも契約書も巻かない
いいかげんな業界なので、
抵抗のしようもなく
スパッと切られちゃった。
(その話は長くなるのでまたいつか)
そんなわけで
晩秋から急激にヒマな人となり、
単発のおしごとを
ちょいちょい分けてもらいながら
今に至るのであった。

いかん。話のトーンが暗い。

忙しかった、体調壊した、クビになった、
これがワタクシの
一年ということなのだろうか。
あとはiphoneを買ったことと
twitterを始めたことくらいしか
新機軸として我が暮らしに
導入されたものがない。

なさけないのう。

まあでもヒマになって自分の時間が
ようやく戻ってきたと考えれば
ここらでちょっとペースダウンして
いろいろインプットというか仕入れというか
ありていに云うと充電期間と考えれば
いいのかも知れぬ。

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2010/07/12

七夕に七転八倒の巻

神様は我々人間が
「そうなることを想像できない」という
罪を犯せば、どんな災厄でも
その身にふりかからせる。

以前読んだキングの小説か何かに
書いてあった箴言。うろ憶え。
天災は忘れたころにやってくる、
みたいな文言と似ていますな。

えっ、あの人最近あんまり
見ないと思ってたけど、なくなったの?
というような
急転直下、晴天の霹靂が
我々の暮らしにはいたるところに
身をひそめ待ちかまえている。

たとえばおのれにふりかえってみて、
まさかこの自分が、
今月はさして激務でも
過密スケジュールでもなく、
けっこう自分の時間も
休息もとれているのに
病院に行くような羽目に陥るとは、
ましてやその後
これを書いている今も続く
苦しみに苛まれようとは、
まさに「想像しなかった」のであった。

異変の起きたのは七夕の夜に遡る。

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2010/07/07

日本の夏、幻想の夏。

唐突だがあなたにとって
夏を実感させる情景とは何だろうか?

風鈴、縁側、スイカ、花火、すだれ、そうめん、
蚊取り線香のブタ、うちわ、かき氷、
入道雲、麦わら帽子、浮き輪、浴衣……。

とまあ思いつくまま書き連ねても
このとおり苦もなく次々浮かんでくる。

映像のおしごとに携わっていて、
ふと思ったのだが、
日本は冬よりも夏にかかわる視覚に
共通の記憶の基盤が多いように思う。
風物詩、とか原風景なんていう
便利な言葉があるが、
まあそういうものを見ると
万人が夏、と認識する
昔からのものや現象や風景である。

あるいは日本人は
お盆や終戦記念日や
なんやかやのせいで
夏になるとノスタルジイに
思考を侵食されやすいのかも知れない。

ワタクシはそういう名もなき普遍的な
情景を再現しようとして、ときに
材料を揃えようと
東奔西走することがあるが、
これが、年を追うごとに
難しくなっている気がするのだ。

きょうもきょうとて、ワタクシは
冷奴を入れる木の桶を
仕事で使いたいと思い、
あちこち原付を走らせた。

が、これが。

ないのである。


ぜーんぜん見つからないんだねー。

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